長崎カルルス
明治20年時の県令 日下義雄が日見峠より中川に数千本の桜を植樹、四季を通じて長崎市民の憩いの場として賑わっていました。当時この地を訪れたドイツ人医師東大名誉教授のベルツ博士よりチェコとドイツの国境にある温泉地カルルスバードに風景が似ていることから『カルルス』と名付けられました。
また、この中川郷を夜桜の名所とし、市民の憩いの場所として料亭を作り、夜は樹間に灯を点じて夜桜の名所と致しました。今は料亭橋本がその後を継ぎ面影を残しております。
料亭橋本のカルルス桜
彦山を背にかつての桜の名所カルルス跡地に建つ純日本建築の料亭橋本。
料亭橋本の庭園にある大きなカルルス桜は明治時代の面影を残しています。
料亭橋本のカルルス桜だより
「歓送迎会」「卒業・就職のお祝い」「謝恩会」「入学祝い」「お花見」「節句」「同窓会・クラス会」等々、春のお祝いの席は、料亭橋本